2022年7月12日、我が家の愛猫つぶが旅立ちました。
慢性腎不全の診断が確定してから7ヶ月後のことです。

最期は、いつもの指定席、夫の膝の上でした。

最後の2日間は足腰も立たず、にゃふにゃになってほとんど寝たきりでした。
ひとりで寝かせておくと、3時間おきくらいに、苦しいのか不安なのか突然変な鳴き声を出すので、その度に夫の膝に乗せていました。そうするとなぜか落ち着いて目を閉じて寝るのです。ひとりで寝ている時は、横にはなっているのですが、目が開いていることが多く、焦点も定まっていないようでした。

その時も、また「アオー」というような変な声を出し、息も苦しそうだったので夫の膝に乗せました。しかし、それまでのように呼吸が落ち着くことはなく、お腹を上下させながら苦しそうに口呼吸していました。その様子はいつにも増して苦しそうで、「もう治らないのなら早く迎えに来てあげて」と、数年前に逝った私の父に頼みました。(いつだったか「もしお前が最期苦しくてしょうがない時は、呼べばすぐに迎えに来る」と、言っていたからです。私本人ではないですが、父もねこが好きだったので頼んでもよいでしょう)
前日までは「なんとかもう少しつぶを生かしておいてください」と祈っていた私ですが、病院の診断、ネットの情報などどれを見てももう無理そうでした。

私たちはつぶの名前を呼び、何度も何度も撫でました。
私たちにしてあげられることは、もう他にありません。
何分か、そう長い間ではなかったと思うのですが、そうしているうちに、ビクーン、ビクーンと2回ほど痙攣して足を突っ張らせた後、つぶは息をしなくなりました。
「死んでしまった?」
自分で親にお願いまでしておきながら半信半疑でした。息をしていない=死んでしまった という理屈はわかるのですが、なんだか夢を見ているようで現実味がないのです。一方で、「早く目を閉じてあげないと開きっぱなしになってしまう」と、現実的なことを考えて、一生懸命まぶたを閉じさせました。
「よしよし、ちゃんと目を閉じて寝ようね」と、何度もまぶたを下にこすりながら「生きていたらこんな風にまぶたをさわらせることもないだろうから、やっぱり死んでしまったんだなぁ」などと、ノロノロと考えていました。

あれからそろそろ1週間です。

亡くなった翌日に火葬も終わり、つぶは今骨になって、窓際のチェストの上にいます。
お世話になった獣医さんへのご挨拶も済み、ひと段落がつきました。

それにしても、つぶのいる暮らし、楽しかったなぁ。

お母さんと一緒に私たちの前に現れた小さなつぶ。
大人になって子育てをするつぶ。
すっかり野生味が抜けておデブちゃんになったつぶ。


いろんな場面に立ち会えて本当に面白かった。

でも、だからこそ本当に寂しい。



「おはよう、つぶ」

「行ってくるよ」

「ただいま」

「ね、そうだよね、つぶ」

「なんて可愛いんだつぶは」

「つぶ、おやすみ」

毎日毎日無造作に発していたたくさんの言葉。つぶがいなくなってしまって、行き場をなくしてしまった。

いまだにベランダの窓を開けておかないといけないような気がするし、ふと探してしまうし・・・。
あんな小さいのがひとついなくなっただけで、からっぽになってしまいました。この部屋も私も。


どこへ行ってしまったんだろう?


虹の橋?


でも、つぶさまは殊勝にそんなところで待っていない気もします。
勝手気ままなお姫様だったから、とっとと天国に行ってしまったんじゃないかな。
でもお伴のものが来るまで待っているかな?

この不在に慣れる日がいつ来るのかわからないけれど、不在が当たり前のことになっても、つぶ、あなたを忘れることはありません。
出会えてよかったです。ありがとう。またね。

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