50歳近くになると、友達の親御さんが亡くなることも多くなってきます。しかし、「喪失感がすごいだろうな」などと想像はしても、自分の親が亡くなることは、どうにもピンときませんでした。
「親が亡くなるってどんな感じなんだろう?」
と、初めて本気で思ったのは、4年ほど前、父が入院した時のことです。
それから1年を待たずに亡くなったのですが、その間の経緯について、メモが出てきました。
どなたかのお役に立つものかはわかりませんが、ここに記しておこうと思います。

2018年7月初旬

熱中症で入院

軽い脳梗塞を3回やっていることもあり、自ら気をつけて水分をとっていた父だが、6月後半からあまり水分をとらなくなり、食欲もなくなった。
そのうちに立てなくなり、救急車を呼んでそのまま入院。
診断は熱中症とのこと。
当初の見立てでは、体力を回復させて歩けるようにリハビリをし、1ヶ月程度で退院の予定だった。

入院でボケがすすむ

しかし、90歳を超えた父は、よく言われるように入院でボケが進んでしまい、リハビリをして自力で歩かせることも難しい状態となった。そこで、退院後の行き先が問題に。
選択肢としては

  • 特別養護老人ホーム(いわゆる特養) → 空きがないため順番待ち
  • 自宅 → 母が一人で面倒を見ることになる

の二つだったが、ケアマネージャーさんと相談し、デイサービス等公共の使えるものをフルに使ってあとは自宅で、という折衷案に落ち着いた。いわゆる老老介護なのだが、父よりはだいぶ若い母が「とりあえず、なんとかやってみる」とのこと。このため、母は病院でオムツの替え方などの指導を受け、自宅にはレンタルで介護用ベッドを設置。介護認定を受けると介護用品のレンタル料が1〜3割(所得による)になるとのこと。

2018年8月初旬

退院・再入院

退院し、自宅ではなくデイサービスへ直行。
しかし行ったその日に熱を出し、元の病院へ逆戻り。
その後意識がない状態となり、翌日私も病院に呼ばれる。
病院で医師の話を聞くと(誤嚥性肺炎からの?)敗血症とのこと。
敗血症とその治療方針についての説明があり、「現在危ない状態で、たとえ回復してもボケの程度その他は以前より悪くなるだろう」とのこと。
さらに、「もし呼吸が止まったらどうするか(ぺースメーカーを入れているので呼吸が止まっても心臓が動いている可能性あり)、呼吸器をつけて延命するか?」 問われる。
父は以前から延命治療は望まない旨家族に話してあったため、「延命はしないでください」と、その場にいた家族(母・姉・私)がそろって答える。


その後意識は戻り、関連する数値も下がる

2018年10月

お見舞いに行ったときの様子

状態は寝たきり。
耳元で問いかけると、か細い声で答えが返ってくることもある。
私のことはわかっているのかどうか不明だが、飼い猫の動画を見せると名前を呼びかける。「わかるの?」と聞くと、「うちの猫」ときちんと返答。

2018年11月23日

医師に呼ばれ病院へ

担当医師から集まれる家族全員集まるように指示があり出向く。
今後についての意思確認とのこと。
「敗血症は治ったのでこの病院は退院となるが、どんな施設を希望するか?」 と問われる。
治療を終えた、ただの寝たきりの人は3ヶ月で出ていかなければいけないルールがあるらしい。
「胃ろう、その他延命治療を希望するならそういう病院を、延命を希望しない看取りであれば、ケアマネージャーさんに相談して老人ホームを探してください」とのこと。
敗血症からは生還したものの、あとはどう生きるかというよりも、どうやって死んでいくかのようだ。

延命を希望しない旨は初めから申し出ていたのだが、いざとなると気が変わる人がいるらしく、ここで念押しされる。延命を希望しない旨の誓約書に家族全員(母と子供4人)がサインをした。
今になって思ったが、この誓約書はどこに出すためのものだったのだろう?

2018年12月初旬

退院・特別養護老人ホームへ

たまたま家から歩いて5分ほどの特養に入れることに。
前回の退院の際、行き先候補の第一希望にあげており、母が見学も済ませていて「建物は古いが家も近いし職員の人も良さそうだった」とのこと。

その後しばらくは、いわゆる寝たきりではあるが安定した状態。

母に様子を聞くと、「たいした意味のある会話はできないが、帰る時にはちゃんと手をふる」と言っていた。

2019年2月初旬

ホームにお見舞いに行った時の様子

病院では食事(ゼリーのようなもの)をとるのもベットの上だったが、ホームでは車椅子に乗り、部屋のすぐ前のテーブルで職員の人に食べさせてもらうようだ。
病院にいた時より元気そうに見えた。母も同じように感じていて「このまま元気になって帰ってくるんじゃないの?」などと言っていたくらい。

「帰るね、またね」と手を振ると、確かに父も振り返した。
そしてしっかりとした口調で「お母ちゃんのことをよろしく頼むな」と言った。
このときだけ元気な頃に戻ったようだった。
これが私が聞いた父の最後の言葉となった。

2019年2月中旬

ホームの面会が不可となる

ホーム内でインフルエンザが発生したとのことで、外からの面会が全面不可となった。

2019年3月中旬

面会再開

父はインフルエンザにはかからなかったというが、原因不明の熱が出て食欲もなく弱ってきたらしい。

2019年4月初旬

そろそろかも、と連絡あり

ホームに通ってくる医師から「早くて3日、もって1週間」と言われ、会いに行く。
もう意思の疎通はとれない。
点滴も刺さらなくなっているそうだ。なんとか刺しているが、そのうち本当に刺せなくなるという。
そもそも点滴すら延命治療の一つなのではないかという思いもあったので、それはもう亡くなる準備なのだと理解した。

その後少し持ちこたえ、大好きなあんこを少量食べたりもし、ホームの中から平成最後の桜も見たそうだ。

2019年4月28日夜

亡くなる

夜の10時過ぎに母から電話があり「今ホームから電話が来て、お父ちゃん呼吸が止まったって」という。
それが「死にました」という感じに聞こえなかったので
「それって亡くなったってこと?」といちおう確認すると
「うん、そうだ。だからこれから行ってくる」と、軽く様子を見に行くような口調で言っていた。

「親が亡くなるってどんな感じなんだろう?」の答え。私の場合

想像がつかないままに、現実が先に訪れてしまいました。
その時の感じとしては「とうとう来ちゃったな」というのと、悲しいというよりは「父のために良かったな」という気持ちでした。
色々なことが出来なくなった父は、とてももどかしい思いをしていたと思うので、やっと解放されて心身ともに楽になったのでは、と思ったのです。
母によれば、最後の方は、夢なのか幻なのか、よく祖母(父の母)と話をしているようだったといいます。そして祖母の元へ行ってしまいました。

変なことを言うようですが、今はきっと「あちらで元気にしているのだろう」という気がしています。

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