「西城秀樹って死んだっけ?」

夫が聞いてきます。
「死んだよ、とっくの昔だよ」
そんなこと今さら聞くなんてちょっとボケ入った? と、心配になる私ですが、秀樹についてでなくてもとにかくここ数年「〇〇って死んだっけ?」とか「死んだよね?」とか言う会話が多くなりました。
自分と同年代の芸能人はまだまだ現役の人がほとんどですが、子供の頃から知っているような年上の人たちはどんどん亡くなって行きます。

いちいち死んだかどうだか再確認する必要もないのですが、なぜだかたまに、例えば

「ケーシー高峰」

などど、ふと頭に浮かび、人に確認してしまうのです。そして「聴診器下げてたよね。死んじゃったね」などと言い合い、少しだけ感慨に浸ります。

そしてそんな時、さらに思い出すのが、昔、毎日のように通っていた屋台のおでん屋さん

ご夫婦でやっていて、確か当時お二人とも60代後半だったと思います。
仕事をしているのはほとんどお母さん。
お父さんはお客さん側のイスに腰掛け、常連と軽くしゃべったりしています。用心棒的な役割もあったのかな。
そんなお父さんが、お客さんからお酒をおごられたりして興が乗ってくると歌を歌うことがあったのですが、よく歌っていたのが水原弘という人の歌でした。(私はその人の歌は知らないのですが、話を聞くと殺虫剤の看板の人だということがわかりました。由美かおるバージョンとともに田舎の道に必ずあったやつ)

歌うのはいいのですが、だいたいその後に「おミズ(水原弘さんの愛称)も死んだ、なんとかとかんとかも死んだ(ちょっと不明)」とか言い出すのです。
当時の私は「あれも死んだ、これも死んだ、とかわざわざ毎回言わなくてもいいのに」と思っていました。
「そりゃまぁ人はそのうち死ぬわ。当たり前じゃん」と。
しかし、この歳になったら私も言い出しました。
「あの人も死んだ、この人も死んだ」と。
人間だいたい同じような過程をたどるものですね。

若い頃には、自分を取り巻く世界の人々はみんな生きていて、そんな話になりようがありませんでした。
亡くなる人がいても自分とは関係のない人で、あまり感想を持つこともありませんでした。
でも今は、毎週ドリフで見ていた志村けんさんや、純と蛍の父親の田中邦衛さん、テレビ画面の中とはいえ、自分の生活圏内の人が亡くなって行く感じです。するとどうしてもたまに思い出して「死んじゃったよね」とか、言いたくなるのです。

なぜでしょう?
単純に、知っている人が亡くなって寂しいから?
それとも少しずつ死というものに慣れていくため?
自分の番が来ても「順番だな当たり前だな」と思えるように?

そう言えば、おでん屋さんのお父さんが亡くなったのは初夏でした。これからの季節です。
お葬式の帰り道、遠くにキラキラと虹がかかっていて「お父さんはあっちの方に行ったんだな」と思いたくなる光景でした。

さて、このようにだんだんとあの世の知り合いも増えてきましたが、私としてはもうしばらくこの世で暮らす予定です。

とりあえず明日からまた仕事。うー、生きていくって大変。

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